社会学の観点から文学をマクロに考えるー自然や文化の観察者としての作家について14


5 観察と社会-社会学的な意義 

 作家としての人間の条件に自然や文化の観察者を設定し、社会と観察という観点に立って、シナジーのメタファーから集団の脳の活動について社会学的な意義を考察している。
 岡田(2018)による観察社会学は、考える、見る、気づく、見える、読むという流れで学習者の目が輝く瞬間を捉えることが目標である。これは、何も医学の教室で医学生だけに当てはまることではなく、作家の学習にも該当する。花村(2020 b)の中で後天的に経験を通して行動が変化する過程を学習と呼び、実際に自分で行動せず、外的刺激や他者の行動を追うときは、観察とした。
 例えば、藤村であれば、信州の旅を重ねることで学習や観察に至り、一方、直哉は、療養による心の静止があり、独歩の場合は、傷心な中にも内面の写し絵がある。また、カネッティは、異文化に触れながら内容を読み取り、カフカは、多少ずらした現実の中で自分探しを試みている。
 こうした集団の活動に教室で参加者の目が輝く瞬間を捉える観察社会学の分析を適応していく。文学作品に描かれている学習の様子は、目が輝く瞬間の情報を提供してくれる。そこが執筆脳の抑えどころとなり、それがAIであれ医学であれ何に該当するのか説明できれば、観察社会学は、シナジーのメタファーの役に立つ。
 観察社会学の計算でみると、当初は個人的な問題に影響していたものが、次第に組織やその運営に関わるということから統計で表示できる観察になり、予測可能なできごとになっていく。花村(2020 b)は、予測可能なできごとが個人レベルを越えた学習、観察、研究のための基本的なルールに属すると指摘している。つまり、低レベルの専門知識ではなく、高度で専門的な合理性が重要となり、他の専門家が計算した結果も問題にすることができる。

花村嘉英(20202)「社会学の観点からマクロの文学を考察するー自然や文化の観察者としての作家について」より


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