社会学の観点から文学をマクロに考えるー自然や文化の観察者としての作家について6


3 自然や文化の観察者としての作家の役割

 島崎藤村は、写生という学習により物を観察し記憶することで自然に近づいていった。稽古としての写生は、研究であり、小諸で観察した事柄を素直にスケッチしている。
 視覚情報もさること、叫びや臭い、味、接触といったその他の感覚情報も考察の対象になっている。藤村自身の日々学習をしながらの観察である。後天的な経験を通して行動が変化する過程は、学習と呼ばれ、自分で行動せずに、外的刺激や他者の行動を追うときは、観察になる。藤村の場合、「若菜集」から「千曲川のスケッチ」へ至る時期が詩から散文へコースを変更するための研究期間であり、藤村の学習と観察双方を考察することができる。つまり、学習と観察の上位概念として研究がある。
 志賀直哉については、交通事故の怪我を治癒する目的で但馬・城の崎を舞台にした「城の崎にて」を考える。直哉の固有の資質は、清澄した目である。凝視により認識したものは、落ち着いた気持ちの中で怪我の養生という課題と相互に作用する。

花村嘉英(20202)「社会学の観点からマクロの文学を考察するー自然や文化の観察者としての作家について」より


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