社会学の観点から文学をマクロに考えるー自然や文化の観察者としての作家について9


「千曲川のスケッチ」の二つの場面を使用して、簡単な例を見てみよう。

◆場面1 烏帽子山麓の牧場
水彩画家B君は欧米を漫遊して帰った後、故郷の根津村に画室を新築した。以前、私達の学校へは同じ水彩画家のM君が教えに来てくれていたが、M君は沢山信州の風景を描いて、一年ばかりで東京の方へ帰って行った。今ではB君がその後をうけて生徒に画学を教えている。B君は製作の余暇に、毎週根津村から小諸まで通って来る。A1 B1 C2 D1

土曜日に、私はこの画家を訪ねるつもりで、小諸から田中まで汽車に乗って、それから一里ばかり小県の傾斜を上った。根津村には私達の学校を卒業したOという青年が居る。Oは兵学校の試験を受けたいと言っているが、最早もう一人前の農夫として恥しからぬ位だ。私はその家へも寄って、Oの母や姉に逢った。Oの母は肥満した、大きな体格の婦人で、赤い艶々とした頬の色なぞが素樸な快感を与える。A1 B1 C2 D2

一体千曲川の沿岸では女がよく働く、随がって気性も強い。恐らく、これは都会の婦人ばかり見慣れた君なぞの想像もつかないことだろう。私は又、この土地で、野蛮な感じのする女に遭遇であうこともある。Oの母にはそんな荒々しさが無い。何しろこの婦人は驚くべき強健な体格だ。Oの姉も労働に慣れた女らしい手を有もっていた。A1 B1 C1 D1

私はB君や、B君の隣家の主人に誘われて、根津村を見て廻った。隣家の主人はB君が小学校時代からの友達であるという。パノラマのような風光は、この大傾斜からほしいままに望むことが出来た。遠く谷底の方に、千曲川の流れて行くのも見えた。A1 B1 C2 D1

私達は村はずれの田圃道を通って、ドロ柳の若葉のかげへ出た。谷川には鬼芹などの毒草が茂っていた。小山の裾を選んで、三人とも草の上に足を投出した。そこでB君の友達は提て来た焼酎を取出した。この草の上の酒盛の前を、時々若い女の連つれが通った。草刈に行く人達だ。A1 B1 C2 D1

花村嘉英(20202)「社会学の観点からマクロの文学を考察するー自然や文化の観察者としての作家について」より


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