社会学の観点から文学をマクロに考えるー自然や文化の観察者としての作家について13


 島崎藤村と同様に他の作家についても多変量を計算し比較してみる。志賀直哉、国木田独歩、横光利一、エリアス・カネッティそしてフランツ・カフカのデータベースから、通常の脳に届く視覚情報に対し、各場面の情報量がどのくらいなのか調べていく。観察者としての作家の役割を考えるための材料になる。

表3
島崎藤村(1874-1943)
「千曲川のスケッチ」の烏帽子山麓の牧場と炬燵話の場面で見ると、視覚情報は、通常よりも多いまたは少ないである。従って、観察の際に、視覚以外の五感情報も使われている。シナジーのメタファーは、「島崎藤村と観察に基づく思考」である。
志賀直哉(1883-1971)
「城の崎にて」の蜂の死骸、魚串の鼠そしてイモリの場面で見ると、直哉の観察は凝視故に、各場面で視覚情報が10割となり、他の五感情報はあまりない。シナジーのメタファーは、「志賀直哉と心的操作としての思考」である。
国木田独歩(1871-2008)
「武蔵野」の林、武蔵野の春、夏、秋、冬そして多摩川の場面で見ると、独歩の観察は内面を持つ新しい個人の出現を目指しているため、各場面で視覚情報が大分多く、他の五感情報はあまりない。シナジーのメタファーは、「国木田独歩と内面の写し絵としての思考」である。
横光利一(1898-1947)
「蝿」に描かれた馬車道の滑落事故の場面で見ると、横光は、文化社会論のカテゴリーにおける現実を蝿の目で観察しようと試みているため、視覚情報が多い。シナジーのメタファーは、「横光利一と観察としての思考」である。
エリアス・カネッティ(1905-1994)
「マラケシュの声」の聖なる男マラブとその一週間後の場面で見ると、カネッティの観察は文化圏の違いもあり、各場面で五感情報が多く、中でも視覚情報が多い。シナジーのメタファーは、「カネッティと直感に基づく思考」である。
フランツ・カフカ(1883-1924)
「変身」の大きな害虫に変身したグレゴール・ザムザが家族の様子を観察する場面で見ると、カフカは、虫の目を通して多少ずらしながら家族の現実を描いているため、各場面で視覚情報が多く、接続法の表現も多々見られる。シナジーのメタファーは、「カフカと適応」である。 

花村嘉英(20202)「社会学の観点からマクロの文学を考察するー自然や文化の観察者としての作家について」より


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