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  • 『日本語教育を通してシナジー論を考える』 人文科学のための人材育成について6

    5 鴎外の脳の活動は感情

     「鴎外と感情」というメタファーについて、先ずトップダウンで考える。鴎外は、陸軍省の医務局に入り軍医として活躍する傍ら、作家としての才能を開花させる。軍での仕事は、上司からの指示命令によるものであるから、感情については、当然外的な要因による誘発が考えられる。一方、作家として活動している時には、内的な要因による創発が感情の源になる。
     二木(1999)によると、感情には喜怒哀楽のようにどちらにも入るものがある。ここでは情動と脳の活動の関係を考えるために、喜怒哀楽の表現を見ていこう。文学の研究を少しでも科学にするためである。鴎外の歴史小説にも内的要因と外的要因による思考が見られることは先にも触れた通りであり、この点を接点に創発が見られる作品と誘発が見られる作品を考察する。方法は、ABのイメージから感情と行動という組を作り、Cの人工知能の組と合わせていく。

    5.1 『安井夫人』(1914)

    ① 誘発の作品として取り上げる『安井夫人』には、幕末の話でも現代に通じる日本人女性の夫への献身が描かれている。日向の国宮崎で藩に任用された父の影響から書物を読んで育った仲平は、小さいときに疱瘡を患い大痘痕となって右目が潰れた。そのため偉くなるとも不男とも噂された。彼の青春時代は、どこかに負い目を感じるものだった。
    ② 大阪と江戸で修業を終えた仲平に安井家で嫁を取ることになった。父が思案した娘には断られたが、その妹佐代からよい返事をもらう。佐代からの希望である。しかし、器量よしで小町といわれるほどの美形で年も離れていて、なんとなく仲平とは不釣合いである。
    ③ 仲平と父が講壇に立つ学問所の書生たちに対しても、繭を破った蛾のように内気な性格を脱して、佐代は天晴れな夫人になる。自分の欲求を満たしてくれるものに接近行動を示す佐代の情動であろう。江戸を出ること二度三度、仲平は四十にしてようやく世間から学殖が認められる。妬みから容姿に纏わる陰口が聞こえてくる。しかし、佐代は女の子を三人出産し、陰口など何処吹く風である。佐代にも当然母としての喜びの情動が生まれる。仲のよい知人からは、無遠慮なお世辞が聞こえてくる。先生に仕えるわけだから、ご新造様は先生以上に学問をしていると。
    ④ 佐代は三十を過ぎて男子を二人産んだ。母としての自覚と夫への献身が増々強くなり、仲平は大儒息軒先生として天下に名を知られる。時代は、ペリーの浦賀来航と尊皇攘夷である。その折、大井伊直弼が桜田門外の変で倒れる。そして佐代は五十一で他界する。
    ⑤ 佐代とはどういう女だったのか。美しい肌に粗服をまとい、質素な仲平に仕えつつ一生を終えた。佐代は夫に仕えて労苦を辞さなかった。夫に対する献身の気持ちが強い。これを外から内への思考とすると、佐代の脳の活動は誘発と考えられる。報酬として何物も要求しなかった。立派な邸宅に住みたいともいわず、結構な調度を使いたいともいわず、うまい物を食べたがりも面白い物を見たがりもしなかった。また物質的にも精神的にも何物も希求しないほど恬澹だった。
    ⑥ 佐代は何を望んだのであろうか。夫の出世であろうか。それでは月並みである。未来に向けて何かを望んでいたのである。それが何か識別できないほどに尋常でない望みであって、その望みの前では一切の物が塵芥のごとく卑しくなってしまう。恐らくそれは夫を敬う忠義の心、献身であろう。

     上記第二章の論文「読む・書く」で説明した【要約の手順】に照合させる。
    ◇ 要約文を4段落(起承転結)で考える。①が起、②が承、③と④が転、⑤が結になる。
    ◇ 段落毎にキーワードを探す。②であれば、仲平、嫁を取る、佐代、美形で年も離れている、仲平とは不釣合いにする。
    ◇ 段落毎に中心文を探す。②の中心文は、「大阪と江戸で修業を終えた仲平に安井家で嫁を取ることになった。」にする。
    ◇ 中心文を使用して、その段落を要約する。できるだけ5W1Hも考える。キーワードとキーワードを助詞や動詞でつないでいく。
    ◇ テーマ・レーマも考慮すること。例えば、「嫁を取る」が旧情報で、「佐代からよい返事」や「佐代からの希望」が新情報。

    5.2 『魚玄機』(1915)

    ① 美人で詩をよくした魚玄機。生まれは長安で、五歳の頃には白居易の詩を暗記し、十三歳で七言絶句を作る。十五歳になると、魚家の少女の詩として好事者に写し伝えられた。
    ② この短編には女の秘密が記されている。それを内から外への思考とすると、脳の活動は創発となろう。容貌も美しくなった十八歳の時に、三名家の一人温の友人で白皙美丈夫な素封家の李億と相見し、聘を受け入れた。しかし、障害があった。李が近づけば玄機は回避し、しいて迫れば号泣する。李は遂げぬ欲望のため、恍惚として失することもあった。また、人間関係が複雑である。李には妻がいる。玄機が妾であることが分かり、夫妻は反目する。こうした因縁が道教の女道士にはあった。 
    ③ 美人で才能があると、負けず嫌いでわがまま性格になる。寝食を共にする修行中の道女士たちと心胸を披歴するが、揶揄や争いそして和睦もある。  羨と妬が混じり合う。そうこうして、玄機の詩名は次第に高くなった。しかし、交友関係は長続きせず、ある道女士が失踪してから、十九歳になった玄機の態度は一変した。書を求められても笑語に移し、無学のものが来ると、侮辱を加えて追い返す。客と謔浪もする。  灯の下で沈思して不安になって、机の物を取っては放下することもあった。
    次第に偏った行動をとるようになる。人格(パーソナリティ)が気質(先天的な資質)と性格(後天的な環境条件)により他人を巻き込み、派手で劇的になっている。
    ④ 貴公子と共に楽人陳某が玄機の所に来た。体格が雄偉で面貌は柔和な少年で、多くを語らず終始微笑を帯びて玄機の挙止を凝視していた。玄機は陳に詩を寄せ、陳は玄機を頻りに訪問する。 7年の月日が経った。緑翹という十八歳の婢がやって来た。陳が緑翹を揶揄するのを見たが、玄機は意に介さない。緑翹を女子として目していなかったからだ。自分は賞賛に値するだけの優れた人間であると信じ込む特権意識が伺える。
    ⑤ 二十六歳になった玄機は、眉目端正で浴を出たときには琥珀色に光っていた。緑翹は犬に似た顔で手足も粗大で、襟肘は垢や油で汚れていた。しかし、陳が次第に緑翹と語るようになる。玄機は、胸を刺されたように感じ、色を変じた。陳と緑翹との間に秘密があると思うようになった。
    ストレスを感じ不安や心配が生まれ、それを上手く解決できない不安障害と気持ちや考えが上手くまとまらない統合失調症の境界で、パーソナリティ障害が生じている。
    ⑥ 玄機は書斎で沈思すると、猜疑は深くなり、忿恨は次第に盛んになった。緑翹の顔に侮蔑の色が見えたり、緑翹に接するときの温言のある陳の声が耳に響くようになる。玄機は甚だ陰険に看取し、扉の錠を下ろし、詰問した。怒りが生じ情動が生まれる。こうした創発は、人に攻撃的な行動を促す。緑翹が狡獪に思えて押し倒し、白状せよと叫んで緑翹の喉を締めた。手を放すと女は死んでいた。
    利己的で相手の気持ちや迷惑を考えることも、社会の道徳習慣に従うこともできず、良心が欠如している反社会的なパーソナリティ障害である。
    ⑦ 観(仏教の寺に当たる)の後ろにある穴に緑翹の屍を落として土をかけた。初夏に訪れた客が涼を求めて、観の後ろに行くと、緑色の蠅が群がる場所があった。そこから緑翹の屍が見つかり、魚玄機が逮捕され斬に処された。
    情動でいうと創発が多く、心の病気でいうとパーソナリティ障害が見られ、執筆時の鴎外の脳の活動を感情と考えることができる。

     『安井夫人』同様、上記第二章の論文「読む・書く」で説明した【要約の手順】と照合してみる。
    ◇ 要約文を4段落(起承転結)で考える。①と②が起、③が承、④と⑤と⑥が転、⑦が結になる。
    ◇ 段落毎にキーワードを6、7個探す。②であれば、女の秘密、十八歳の時、李億と相見、聘を受け入れ、人間関係が複雑、玄機が妾にする。
    ◇ 段落毎に中心文を探す。②の中心文は、「容貌も美しくなった十八歳の時に、三名家の一人温の友人で白皙美丈夫な素封家の李億と相見し、聘を受け入れた。」にする。
    ◇ 中心文を使用して、その段落を要約する。できるだけ5W1Hも考える。キーワードとキーワードを助詞や動詞でつないでいく。
    ◇ テーマ・レーマも考慮すること。例えば、「聘を受け入れた」が旧情報で、「障害があった」や「遂げぬ欲望」が新情報になる。

    花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム-中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

  • 『日本語教育を通してシナジー論を考える』 人文科学のための人材育成について5

    4 組のアンサンブル

     文理融合といえば、社会とシステム、法律と技術、経営と工学、ソフトウェアとハードウェア、法律と医学、心理学と医学などの組み合わせが思い浮かぶ。しかし、人文科学を専門とする場合は、シナジー論についてどのようなアプローチができるのだろうか。
     これまで文理シナジー学会や中国の学会を通して、文学作品を対象に受容の読みとシナジー・共生の読みを考えてきた。前者は読み手の脳が問題になり、後者は作家の脳が問題になる。比較とは一般的にAとBからA’とB’を出す作業である。一方、共生とはAとBから異質のCを出す作業である。そのために、AとCをメタファーの関係としBをその写像と考えて、「シナジーのメタファー」を考えてきた。一つは「トーマス・マンとファジィ」、また一つは「魯迅とカオス」である。現在は、「鴎外と感情」も視野に入れている。
     シナジー論にも多くの評価項目がある。文と理、主の専門と副の専門、語学文学、理論と実践、言語情報と非言語情報、東西(例、漢学と洋学)そしてボトムアップとトップダウンなどだろうか。とにかく全てを組で考えるとL字の調節になっていく。また、調整の軸として奥に脳科学を置く。
     現在、魯迅と鴎外を比較しながら、鴎外についてシナジーのメタファーを考えている。日本語でも理系の資料を処理すると、これが横の調節をするための文献学の基礎になり、実績となるため、技術文の翻訳作業をお薦めする。日本語の技術文については、下記の参考文献の中の「人文科学から見た技術文の翻訳技法-英日・独日・中日」が参考になる。 
     L字の調節を濃くするために、比較と共生の実績を増やしていきたい。例えば、欧米の言語とアジアの言語を比較しながら、東西の組み合わせを考えるのもよい。
     シナジーのメタファーを作る際に難しいのは、Bから異質のCに橋を架けるところである。Aを人文、Bを認知、Cを理系の専門分野とすると、AからBまでは言語の認知により出力のイメージができる。次に、これを入力として情報の認知のイメージを組で考えてみる。これを繰り返すと、次第に橋が架かってくる。現状では情動にまつわる脳の活動に関心があり、関連文献を読んでいる。人文の人たちがL字を作るに当たり検討するべき組み合わせを一覧にまとめた。

    「人文科学のためのL字の評価項目」
    大項目→小項目→説明
    翻訳→文系の資料→人文のみならず社会の資料も入門ぐらいは読む。
    翻訳→理系の資料→はじめはチェッカーをやりながら、ソフトウェアを習得していく。理系の入門や機械翻訳をこなす。
    テキスト分析→受容の読み→トーマス・マンならばイロニー、魯迅ならば、記憶。そして森鴎外は情動と尊敬の念からなる感情とする。
    テキスト分析→共生の読み→作家の脳の活動を探る読み。AとBから異質のC。
    語学力→言語の習得→教授法のレベル。
    語学力→言語の応用→専門のレベル。また副専攻も文理で取り、使用言語を増やしながらLの調節を心掛ける。

     日本語教育の現場で、日本語学文学のみならず日本語の技術文も勉強の対象になるという説明をしてもらいたい。社会に出てビジネスで役立つような教案とか脳トレにつながる教案を作ることに意味がある。最初は、簡単なことから始めるとよい。シナジー論は時代のニーズである。目指しているのは、人文科学のための脳科学である。

    花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム-中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

  • 『日本語教育を通してシナジー論を考える』 人文科学のための人材育成について4

    3 問題解決に向けてできること
     
     こうしたL字の文献処理ができるようになるとよいことがある。テキスト分析を例にして説明していこう。テキスト分析といった場合、文系でも理系でも受容を思い浮かべる。文系は文献学をベースに解析をして作品のイメージを作り、理系は計算、技術、実験をベースに作品のモデルを作っていく。ここからが問題である。文から理への横の調節をAとBから異質のCという流れとしよう。その場合、Aは人文科学、Bは認知科学そしてCは脳科学になる。学会や研究会などで専門家の話を聞いていると、人文の人はAとBの塊を作り、理系の人はBとCの塊を作る。なぜか対峙してしまう。これが問題である。
     人文から理系に向けた研究方法を何か工夫して、何とか異質のCに辿りつくようにしたい。どうすればよいのだろうか。私の場合、作品を解析したイメージの中にいずれかの組を作る。例えば、鴎外の歴史小説を分析して内から外への思考と外から内への思考という組を考える。これはAである。それから人間の信号の伝わり具合を想定して、この組み合わせに適した脳科学のポイントを探る。これはBである。そして最後に、動物一般が生得的に持っている本能のことをいう情動に近づいて行く。
     情動の起因には諸説があるが、その一例として内的要因(創発)と外的要因(誘発)が挙げられる。情動とは、例えば、喜怒哀楽に関する瞬時の思いである。また一方に、人間特有の感情といわれる人を敬う継続的な思いがある。鴎外の歴史小説を情動や尊敬の念といった感情を通して考察しながら、L字の調節によるシナジーのメタファーを考えてみよう。

    花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム-中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

  • 『日本語教育を通してシナジー論を考える』 人文科学のための人材育成について3

    2 原因は何か

     人文科学の伝統の技は、語学文学とか文化思想などである。また、ことばごとに分かれていて、専攻科目もたくさんある。人文の関係者が平時に取り組む教授法は、誰にとっても共通の実務である。教授法の周りに自分の専門分野があり、副専攻として専門以外にも通じたことばがある。しかし、実績を見るといずれも人文科学のもので、横に目安はない。では、どうすれば横に目安を置いて、評価を出すことができるのだろうか。
     ひとつは、人文の人も横に実務を作るとよい。例えば、夏休みなど時間があるときに、産業翻訳に取り組むのも悪くはない。人文科学が専門の人でも機械翻訳に興味がある人もいるだろう。英語の場合、関係者も資料も多いことから、大学人でも産業翻訳に貢献している人がいる。日本語教育学会にもビジネス日本語の分科会がある。そういうところで翻訳作業をしていて気づいた問題を解決するための工夫などを自分なりにまとめて発表するとよい。そうすれば、とりあえず実務を通してL字を作ることはできる。
     英語以外の外国語が担当の人たちもそれぞれのことばの技術文を和訳してみるとよい。理系のエンジニアは、技術的なやり取りのためのツールとしてプログラミング言語を使用する。また、自然言語は英語を使用すればよい。しかし、中には英語以外のことばにも通じている人たちがいて、そういう理系の人が英語以外の技術文を翻訳している。
     英語以外が持ち場の人文科学の人たちも理系の人たちに分野の知識を教わりながら技術文の翻訳作業をすればよい。そうすれば、人文と理系でことばの問題もあるが、分野を調節するために何が必要なのかを考えることになる。こうすると翻訳の表現がうまくなるとか仕事がはかどるといった誰もが思うことでよい。例えば、翻訳ソフトを使用することも作戦である。民間人との情報交換もけっこう役に立つ。

    花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム-中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

  • 『日本語教育を通してシナジー論を考える』 人文科学のための人材育成について2

    1 問題提起

     昨今、グローバルなネットワークとして世界中から日本語教育が注目されている。日本語教育関連の学会に参加すると、注目度が肌で伝わってくる。研究発表やパネルの討論会などは多岐にわたり、どの分野でも活気に溢れている。参加者を見ると、人文、社会のみならず理系を専門とする人たちもいて、国籍も多様である。
     現状ではどちらの学会でも参加者一人ひとりにスコアを付けている。そのため、発表の様子もさることながら、準備も結構大切になる。発表後の質疑応答も聞き手に伝わるように説明するとよい。そうすれば、おのずとスコアは付いてくる。ところがここで思うことがある。
     人物評価をする際に、社会系や理系は、縦の専門と横のシナジー・共生が調節できるようにL字に目安を置いている。専門性を謳う競争はどの分野にもある。社会系と理系の組み合わせは実務にもつながることから、それぞれが横も調節できるようにマクロの評価項目を設けている。(例えば、社会とシステム、法律と技術、経営と工学、法律と医学など。)評価項目の中にはエキストラの項目もある。それはそれでよい。ここでの問題は、人文の人たちにこうしたL字の評価がそもそもないことである。

    花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム-中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

  • 『日本語教育を通してシナジー論を考える』 人文科学のための人材育成について1

    【要約】

     人間を総合評価する際に社会系や理系の人たちは、自分の専門とシナジーによるL字で調節をしている。一方、人文系の人たちは、概ね、縦の専門性を中心にして評価を出している。こうしたギャップを埋めるためにどういうことができるのだろうか。人文の基礎は文献学であるため、技術文の翻訳を横に置くことはできる。そうすれば実績をL字に調節していることになる。また、テーマをLに調節する方法として、組のアンサンブルを検討している。この辺が問題解決の鍵になりそうだ。

    花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム-中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

  • 論理文法に見るファジィらしさ9

     Zuerst handelt es sich um das CONTEX Attribut. Der ‘Wert des Attributes nimmt zwei Attribute C-INDICES und BACKGROUND. Die C-INDICES Werte werden für viele Attribute spezinziert, die die linguistische wichtige Information über die Zustände einer Äußerung wie z.B. SPEAKER, ADDRESSEE und UTTERANCE-LOCATION (U-LOC) geben. Das BACKGROUND Attribut nimmt eine Menge von psoas für die angemessenen Bedingungen, die mit einer Äußerung eines gegebenen Types einer Phrase verbunden werden. Die Objekte eines Kontextes werden illustriert. (Hanamura (2005))
     Zum Beispiel weiß man, daß ein gegebener Satz alle Hintergrundbedingungen der Bestandteile erwirbt. Die einfachste Weise für die Analyse würde das folgende Prinzip begründen.

    a. Kontextuelles Konsequenzprinzip 

     Der CONTEXT/BACKGROUND Wert einer gegebenen Phrase ist die Vereinigung der CONTEXT/BACKGROUND Werte der Töchter.

     Das Prinzip in a verlangt, daß alle kontextuellen Annahmen als ein Teil der Menge von Hintergrundbedingungen übernommen werden.
     Das Prinzip ist doch eine ganz starke Theorie über die Präsuppositionsübernahme. Das heißt, es erscheint inkorrekt zu sein, weil es keine Ausdrücke erlauben kann, die die Übernahme der Präsuppositionen systematisch versperren, die mit einer partiellen Äußerung verbunden werden. Der Unterschied zwischen b und c besteht darin, daß nur jener als eine Präsupposition die Proposition hat, die durch d ausgedrückt wird.

    b. Hans Castorp bedauert, daß Joachim Ziemßen krank ist.

    c. Wenn Joachim Ziemßen krank ist, dann Hans Castorp bedauert, daß Joachim Ziemßen krank ist.

    d. Joachim Ziemßen ist krank.

     Um das Problem zu lösen, handelt es sich hier um das allgemeine System für kontextuelle Information. Die Streichung der Präsuppositionen trägt eine Ähnlichkeit mit der Entlassung der Quantoren aus QSTORE Werten. In der Tat ist es ähnlich der Entlassung von NONLOCAL Werten, die in der Analyse der Bedingung von SLASH und REL Dependenzen betrachtet werden, wenn das Prinzip für kontextuelle Konsequenz geschieht, die die spezifischen Elemente wie z.B. “plugs in Hanamura (2005) erlaubt, um einen Mitglieder aus der übernommenen Menge angemessener Bedingungen zu entlassen. Das ist doch keine absolute Sache.
     Ferner beschreibt Pollard and Sag (1994) deiktische Spracherscheinungen. Jedes Wort einer Äußerung führt die kontextuellen Parameter ein, die wichtig für die Interpretation der deiktischen Ausdrücke sind. In der traditionellen Denkweise wird kontextuelle Information in die modelltheoretische Semantik der natürlichen Sprache gebracht. Allerdings ist sie der feinen Natur der deiktischen Kontextdependenz nicht gerecht. HPSG identifiziert den C-INDECES Wert aller Töchter in einer gegebenen Phrase mit dem Wert der Mutter.
     Pollard and Sag (1994) nimmt an, daß jeder Teil einer Äußerung den eigenen C- INDECES Wert hat and daß das gemeinsame Charakter zwischen solchen Werten auf die Natur von Äußerungen zurückgeführt wird. Das heißt, alle wichtigen Informationen über C-INDECES Werte werden innerhalb einer Äußerung identifiziert. Die ganzen Werte von C-INDECES werden zwar identifiziert, aber es ist unabhängig von der Bedingungen im linguistischen System. Solche Bedingungen werden aufgrund typischer Eigenschaften von “discourse situation” – Tendenzen außerhalb Sprachen – unterstützt.

    花村嘉英(2005)「計算文学入門-Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」より

  • 論理文法に見るファジィらしさ8

     Hier handelt es sich um den lokalisierten Wert des lexikalischen Eintrags für ein attributives Adjektiv (z.B. blau), um die neue OUANTS/NUCLEUS Kodierung von psoas zu reflektieren.
     Die Interpretation des Adjektivs wie “blau” wird gezeigt.

    a. x1|{Auge (x1), blau (x1)}

     Es erlegt dem Anker eines Parameters mehrere Beschränkungen auf. Wie es manchmal gesagt wird, zeigen die farbigen Beziehungen einen verdeckten Parameter, dessen Wert eine Skale der Farbe fixiert, sowie die Extensionen von “measure adjectives” abhängig von der Bestimmungen eines Maßstabs, eines Vergleichs und einer Norm für die Klasse der gemessenen Eigenschaft sind.
     Um die mehrere Beschränkungen auf andere Adjektive wie “schön” zu erweitern, muß eine Funktion angenommen werden, die als Argument die Eigenschaft nimmt, die das Adjektiv modifiziert. Im Augenblick erscheint der Inhalt von “schön X”,abhängig von der Bedeutung “X” zu sein.

    b. Das ist ein schönes Fenster,

    c. Ein schöner Anzug ist teuer.

     Der Inhalt von “schön X” ist doch nicht immer abhängig von der Bedeutung “X”. Der Anker des Parameters, der als der Wert des STANDART Attributes fungiert, muß manchmal durch kein modifiziertes Substantiv, sondern den vorzeitigen Kontext bestimmt werden.

    d. Hans Castorp wurde im Berghof hier oben geröntgt. Dadurch sah er zuerst eine schöne Rippe.

    Der STANDART Wert der Schönheit wird durch kein modifiziertes Substantiv (Rippe), sondern die wichtige Eigenschaft (Röntgenaufnahme) bestimmt.
     Das Adjektiv wie angeblich ist unvereinbar mit den mehreren Beschränkungsanalysen, da “angeblich X” braucht, nicht zu sein. Der lexikalische Eintrag für ein Adjektiv wie “angeblich” mag die substantivische Beschränkungsmenge als ein Argument der angeblichen Beziehung einbetten.
     Darum wird der Inhalt von N’ wie angeblicher Täter als nom-obj gezeigt.

    e. x1|angeblich ({Täter (x1)})

     Die Bestimmung dieses Types ist abhängig davon, daß ein bestimmtes Individuum in einem Kontext behauptet, ein Täter zu sein, trotzdem er tatsächlich kein Täter ist.
     Um die Modifizierung noch ausführlicher zu betrachten, handelt es sich hier um ein modifiziertes Idiom. Wie Gazdar et al .(1985) erklärte, betrachtete auch Hanamura (2005), ob ein Teil eines Idioms durch ein Adjektiv modifiziert werden könnte, um die Kompositionalität zu stützen. Die semantische Theorie von GPSG nahm die Semantik fiir natürliche Sprachen an, die von Montague (1973) beschrieben wurde. Nach seinem Prinzip wird jeder Baum der Phrasenstrukturen durch die Interpretation in der Form einer Transformation in die intensionale Logik begleitet.
     Eine wichtige Eigenschaft der Montague Grammatik besteht in der Begriff der Kompositionalität oder des sogenannten Fregeschen Prinzips.

    f. Fregesches Prinzip

     Wenn die Bedeutungen der Bestandteile B und C erhalten werden, wird die Bedeutung von A als eine Funktion dieser Bedeutungen gehalten (SEM (α)= F (SEM (β),SEM (Y))).

    Das Prinzip ist gut vereinbar mit einer Syntax, die auf einer kontextfreien Grammatik angenommen wird. In einer hierarchischen Struktur besteht ein Subbaum eines Baumes einer Phrasenstruktur aus einer Mutter und vielen Töchtern.
     B und C mögen selbst die Wurzeln anderer Subbäume in einem komplizierten Baum einer Phrasenstruktur sein. Wenn die Grammatik kontextfrei ist, entspricht der lokale Baum der folgenden Regelung.

    g. A <img src=”/_images_e/e/F06E.gif” alt=”右矢印1” width=”15″ height=”15″ border=”0″ />  B C

    Das führt zum sogenannten “rule to rule” Prinzip.
     Im Gegensatz zur obengenannten Verwendungsweise der Adjektive in a, b, c und e modifiziert das attributive Adjektiv in h und i zwar morphosyntaktisch das Substantiv “Hund”, aber semantisch nicht so. (Hanamura (2005))

    h. auf den Hund kommen.
    i. auf den leibhaftigen Hund kommen.

    In i wird die Bedeutung des Idioms teilweise modifiziert. i bedeutet ungefähr, wirlclich und wahrhaftig wirtschaftlich zugrundezugehen. Hier wird ein AVM (attribute-value matrix) Diagram illustriert, weil “leibhaftig” eine Rolle einer Hecke in der Fuzzy Logik spielt. (Lakoff (1973))
     Schließlich handelt es sich weiter darum, ob ein Idiom selbst als eine Art von linguistischen Hecken angesehen werden könnte, weil Fleischer (1982) beschreibt, daß die Phraseologismen in besonderer Weise den Modalitätsparameter eines Textes wie seine Isotopie bestimmen können.

    j. Idiomatisches Prinzip

     Wenn ein Idiom in einem Text verwendet wird, soll es als eine linguistische Hecke angesehen werden.
    In Hanamura (2005) wird eine Idiomatizität als eine irreguläres Verhältnis zwischen der Bedeutung der Wortkomponenten und der Bedeutung des ganzen Satzes angesehen.

    花村嘉英(2005)「計算文学入門-Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」より